意味なんかないから!!

投球前のジェシーのギャグにも、このブログにも。

縮まらない君への距離 -Happy Birthday to Jesse and Me!!!!-

担当として初めて祝うジェシーの誕生日に寄せて。


ジェシー、誕生日おめでとう。


実は毎年当日心の中で祝っていたけれど、こうやってちゃんと文章にして祝う日が来るとは、正直1年前ですら微塵も思っていなかった。ホント、人生まさかの連続ね。

今日のこの日がジェシーの誕生日だと知ってから多分5年くらい。担当でもない頃から彼の誕生日を知っていた理由は、担降りブログのジェシーパートでも書いたけれど私の誕生日も今日だから。おめでとう、私!!!Yeah!!!

6月11日に私を産んでくれてありがとう、マイマザー。
そして、この日に生まれてきてくれてありがとう、ジェシー & この日にジェシーを産んでくれてありがとう、ジェシーのママ。
自担と同じ誕生日なんて奇跡、これから先一生かけても、ジェシーと以外に起こるとは思えない。


そういえば、ジェシーの年齢と干支を知ったのは19→20のカウコン。誕生日だけじゃなくてねずみ年なのも一緒かよ!って。
なんで覚えてるかって、Twitterの下書きにそれが残ってた。下書きを整理していて見つけて、今でもまだなんとなく残してる。
前年に同い年の元担がいなくなったからその年の年男ユニットに対して寂しい気持ちしかなかったのが、ジェシーのおかげでちょっと和らいだんだよ。その時から私ジェシーに助けられてた。

なんだろうな、後からならなんとだって言えるけど、やっぱり降りる先はジェシーしかありえなかったんだなって思う。




私の目標は、ジェシー担として一緒にねずみ年を迎えること。

まずはちょうど10年後。
ジェシー36歳かー。今より更にイイ男になってるんだろうな。想像しただけでもワクワクする。

で、22年後、私が還暦。
…嘘でしょ、あと22年しかないの!?笑

34年後、ジェシー還暦。
超イケオジだね、きっと。白髪混じりの髭なんて生やしちゃったりして。あー、絶対カッコいい。絶対。断言する。カッコいい。好き。


まぁその頃には何がどうなってるかさっぱり予想つかないけど。
でも、10年後はいけると思うよ。私好きになったら長いから。34年後は…どうだろうね。歌い続けている還暦のオッサンと、それを応援してる元気なおばあちゃん、っていう未来があるといいな。
こーちから始まる定年退職ライブは、それよりまだ先だし。笑

それまで、みんな元気に、幸せに生きていこうね。




ひとまず、25歳のジェシーには本当にお世話になりました。毎日、幸せをありがとう。たくさんの友だちと出会わせてくれてありがとう。

たくさんの人に囲まれて、慕われて、頼りにされているジェシーの姿を見るのが嬉しい。自慢の自担。そんなジェシーと同じ誕生日であることを幸せに思います。

年齢差が一つ縮まることも、広がることもなく、毎年、同じ日に歳を重ねる。私が私である限り、この日がくれば何があってもジェシーのことを思い出すから。私はこれからも毎年祝い続けるよ。一生ね。


26歳、おめでとう。

Don't be hesitate. とは言うけど…

1/26にSINGに出ることが解禁になってから今まで、言いたくても言えなかったことがある。

「ジェシー、天の声とか、ナレーションとか向いてると思う。」

単に自分で自分の気持ちを重くしすぎて、この言葉をずっと飲み込んできた。




自担としての贔屓目が多分に入るのだけど、ジェシーの声って、スッと入ってくるけどちゃんと耳に残る、そんな印象。
だから声のお仕事は向いてるんじゃないかなと思っていた。特に天の声とか。ナレーション。盛り上げるタイプは言わずもがな、抑えた喋りだってきっと合う。例えばROTのかざぽんみたいな、抑えた形のナレーションもいつか聴いてみたい。


そう思ってたから、声のお仕事であるSINGがわかった時はすごく嬉しかった。

本当に嬉しくて、
「これから絶対声のお仕事増えると思う。向いてると思う。やってほしい。」
と、何度も書いた。

何度も書いたけど、一度もツイートすることはなく、全部消した。

Twitterは鍵垢だから、好きなことを呟けばいいのに。



理由は二つ。

まず、単純にSINGの公開前だったから、もし一般的な評価でそれほどでもなかったらどうしようという不安。
でもこれは公開さえすれば払拭できる自信があった。だって自慢の自担だから。
それでも不安があったのは、それはやっぱり「ジャニーズ」だから。そこがマイナスに働くことはやっぱりどうしてもあって、昔から自担が本業以外で世に出るときは、必要以上に身構える癖がついている。そう、もう癖。



もう一つの理由。それは、万が一私の中でハマらなかったとき。正直こっちの方が怖かった。昨日までずっと。

私は自担の仕事だからといって手放しで全て褒められる訳じゃない。元担の作品でも、なんかしっくりこずに観てない映画が何本かある。それがたとえ主演でもだ。

自分がそういうタイプだと理解しているから、今回の件に関しては大丈夫だと確信めいたものはあったけれど、まだ見ぬジェシーのナレーションに対して「向いてるよ」と自分でハードルを上げたくなかった。
特に、ジェシーの声のお仕事は私にとっては歌以外で一番望んでるもの。
だから余計に怖くなって、言葉にすることを躊躇った。



全て杞憂に終わる。
絶対にジェシーは向いている。
私の好きな声だ。ツボを外さない確信もある。

そう信じていたけど、でも、だからこそ自分の耳で確かめるまでは何も言えなかった。




SINGが公開されて評判も良かった。
そしてついにきた、今回のお仕事は「声でアテンド」
きっと天の声だ。単独で声のお仕事をまた頂けたんだと少し安心した。

少しずつ解禁されていく今回のお仕事のジェシーの声を聞きながら、あぁ、やっぱり好きだな、きっと大丈夫だろうなと落ち着けたから、今回の放送前日になって漸く「声のお仕事増えてくれないかな」「ナレーション聴きたいな」という願望までは呟くことができた。


明日は安心して番組を見よう、と思っていたところに、日付が変わって間もなく、ジェシーが今回ナレーションもやっていることがわかって…。


約3ヶ月、無駄に一人で抱えていたものが、堰を切ったように出て来た。
良かった。ジェシーにナレーションやってほしいって思ってるのは、私だけじゃなかった。ファンの贔屓目じゃなかった。きちんとお仕事として需要があったことが嬉しかった。
そして、SING公開後から間が開かずこのタイミングであることにも凄く安心した。あのアルフォンゾがきっと認められているのだろうと、私の中では勝手に繋がった。



絶対に大丈夫。そう思って、夜にいろいろ自分の思いがあることもツイートしたけど、やっぱり最終的に表に出すのは、ジェシーのナレーションを聴いて、自分の中にちゃんと落とし込んでからだと思った。




特に私はSINGを観ていないから、時間がかかった。やっと言える。


ジェシーにはこれからも声のお仕事がきたらどんどんやって欲しい。凄く向いてると思う。

声質については一番最初に書いたけど、喋り方で言えばジェシーは抑揚の揚の喋りが圧倒的に上手い。これは誰かがやりたくてやろうと思っても一朝一夕でできるものじゃない。
半分流れているアメリカの血、ご両親と一緒に幼い頃から培ってきた英語力、ジェシーの大好きなMusicから得たリズム。ジェシーのあのノリのいい喋りは、ジェシーが持って生まれた天性のもの、かつジェシーの人生そのものだと思う。

本職の方にはまだそりゃ敵わない。英語が喋れるナレーターの方だってゴロゴロいる。でも、勉強して場数を踏めば、絶対にジェシーの武器になる。

いつか抑えたナレーションも聴きたいと言ったけど、しばらくは、ジェシーの強みで勝負していくのがいいんだろうな。なんとなーく、そう思う。そっちをもっともっと磨いた方がいい。



いつか声だけで、何かレギュラーを貰えたらいいなって願ってる。
ジェシーの声が認められるなら、その顔が見られないことはいくらでも我慢できる。笑




長くなったので、この辺で。


また近いうちにジェシーのナレーションを聴けることを祈ってます。

cross the line

※ただの担降りブログ。長くて中身はない!(その2:SixTONES・ジェシー編)


ヲタ活はしばらくおやすみだろうなと思っていた私に、突如現れたのがSixTONES、そしてジェシーでした。元々年下に全く興味がなかったので、本当に予想外のところからの登場。

…だと思っていたんですが、こうして改めて振り返ると実は意外でもなんでもなかったな、というのが感想です。最早今では、降りるなら彼らしかありえなかったのだと思っています。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

2007年、エイトのコンサートでフルネームを叫ぶ京本大我。DVD持ってる。
2007年、特急田中3号に弟出んの!?
2007年頃、ジャニーズ、ハーフ集めてなんかやろうとしてる?
2008~9年頃、あ、森本の弟か!可愛い!
2010年、たまたま観に行った滝沢歌舞伎に出ていたB.I.Shadow(きょもも出てたね。少年邦楽専科)。パンフ持ってる。

記憶にある6人の一番最初の認識は多分こう。
彼らが露出が多かった方だというのもあるが、年下やJr.に興味がない私が6人全員をわりと初期段階で認識していたのは奇跡だと思う。しかし興味があった訳ではないので、その後の活動は特に知らずに数年過ごしていた。


2012年、この6人をバカレア組として認識。
私がeighterだと知る当時の職場にいたAKBヲタのバイトくんが、今度AKBがジャニーズと一緒にドラマをやるのだと教えてくれたのだ。話題のために1,2回くらいみた。が、残念ながら話は全く覚えていない。その後の皆の芸能活動についてもこれまた追っていない。
でも2015年、あの時の6人がSixTONESとして再集合したという事は、Twitterでなんとなく知った。



そして、これが今思えば私がSixTONESに降りるための土台となる出来事なのだが、eighterとして知り合ったTwitterのフォロワーさんが、Jr.時代のSixTONESに降りた。
私はTwitterのフォロー数が少ない。そのためそれからエイトに負けないくらいのスト情報が私のTLに流れてくることになった。そしてそれを意外と楽しんでいる自分がいた。今これを書きながら昔のこと(湾岸のイスとか、Jungle初披露の横アリとか、諸々)が結構思い出せるあたり、どう考えても当時の私は確実にSixTONESに興味を持ち始めていたことがわかる。
そして、Jr.チャンネルの開設、YouTubeプロモーション(あれは凄かった)、デビューに関するあれこれ、デビュー後の情報を、スト担の方々の反応を通してだけれども一通り見てきた。

もちろんこの流れで私はただ受けとるだけでは飽きたらず、Jr.チャンネルが始まった頃からYouTubeを自分でもチェックして全てではないもののよく観ていた。インスタもすぐにフォローした。


もうこの時点でそれ絶対好きだよね?と過去の自分にツッコミをいれたいくらいなのだが、私のスタンスとして自担は一人。掛け持ちができない性格なので(あとどこかで線引きしないとお金が足りない)、亮ちゃんを好きだった以上彼らに一線を引いていたのも仕方ない。



そして2021年。このSixTONESに定期的に触れる生活は、亮ちゃんへの気持ちにケリをつけた後も変わらず続く。TLには情報が流れてくるし、面白そうなYouTubeが上がれば観る。
そんな生活を送っていれば、あんなに素敵で面白い大男たち、ましてや元からなんやかんや気になっていたグループだ。そう時間を置かずに好きになるに決まっている。ここしばらく自分の気持ちの変化には気付かないふりをしてきたけれど、このポジティブな変化にあえて目を瞑る必要は全くなかった。

どの映像を観ても垣間見えるSixTONESみんなの仲の良さが、まぁこの数年でいろいろ思うところのあった私には懐かしくて眩しかった。そして何より、彼らの笑顔と歌とダンスに心の底からワクワクした。何かこの映像がきっかけだとか、この楽曲がよかったからとかいったものはない。ゆっくりと、でもある意味ではあっという間に落ちた。
結局、新しく見つけたのではなく、私の頭の中で無意識にずっと待機していたやつらが、満を持して皆でわいわい先頭に躍り出ただけのこと。
そして、最終的にその先頭がジェシーだった。



2019年の段階で、私は「私SixTONESならジェシー!」とツイートしている。
実は私にとって、ジェシーにだけは他の5人と違って明確に気になる理由がある。彼とは誕生日が同じなのだ。Wikipediaで同じ誕生日の有名人を探していてる時に名前を見つけ、そのあとなんとちょうど一回り下で同じ子年だと気づいた。毎年ジェシーの誕生日のお祝いをするスト担さんたちのツイートを見ては、密かに私も祝っていた。

でも、じゃあ元から6人の中でジェシーが一番好きだったかというと、それもまた違う。少なくとも一年前までは6人に対する気持ちはフラットだったような気がする。それがSixTONESへの好きをじわじわと自覚するにつれ、ジェシーが頭ひとつ飛び抜けていった。

端的に言うと全てが好き。いろんなジャンルの歌に合わせた多彩な歌声、あのリズム感と広い可動域からくる魅力的なダンス、スーツの似合う広い背中と長い脚、豪快な笑い声、優しい目、メンバーに対しての愛情、英語への努力。
元々歌が上手いことも知っていたし、好きなタイプのダンスだなと思っていたけど、SixTONESのことを改めて知っていくにつれてどんどん気付く、ジェシーのアメリカンスケールな全てが心地良くて、ここならまたハマってもいいなと思える安心感があった。

もっと細かいポイントはいくらでも語ることが出来るけど、長くなるから省略する。
ジェシーについても、SixTONESについても、それはきっとこれから飽きるくらい呟くだろうから。




こういった経緯で、私は今SixTONESとジェシーの沼でぬくぬくと暖まっている。もっと前から…と考えないこともないが、昔の私にはその時に楽しんでいたものがあったのだから、自分の選択を尊重しようと思う。

それなりにしか知らなかった人たちだから、彼らの歩んできた道を知れるのが楽しい。
それなりに知っていることもあるから、懐かしいねと成長を楽しめるのが嬉しい。
今を共に生きているから、新たな一面を見てもっと好きになれる。

今の私はとてもお得な楽しみ方ができるポジションなのだと、前向きに面白がって日々過ごしている。

永遠なんてないということは嫌という程思い知ったし、何が起きるかわからないこのご時世に辟易することもあるけれど、このタイミングでEverlastingを歌ってくれる彼らに浸りながら、やはりこれからもジャニヲタを続けていこうと思う。



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Some places I can never go back for good

※ただの担降りブログ。長くて中身はない!(その1:エイト・亮ちゃん編)


亮ちゃんのFCを3年目更新しなかったので、2022/1/31をもって完全退会になりました。
区切りのために書く、2021年担降りの話。


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少し遡って2019年。まだ、錦戸担だった頃。
春に亮ちゃんの退所疑惑の文春砲がでて若干の不安がある中、私は6月に海外に渡った。今何か起きても何もできないからやめて!とTwitterに呟いた記憶がある。でもその願いも虚しく、9月には退所が現実となった。すばるくんが退所した時から、遅かれ早かれこういう日が来るとは思っていたけど、ちょっと予想より早かった。

その年のツアー"十五祭"は7月スタートだったので、彼の終わりを見届けることはできなかった。そして秒で活動を再開した彼の始まりのツアーに立ち合うこともできなかった。

ひとまず10月にFCが立ち上がったので、再出発へのご祝儀の意味も込め実家の住所で即日入っておいた。その後コロナ禍になってしまったので、一時帰国にあわせて参戦する可能性はゼロになってしまったけど、でもまぁFCのサイトを覗いたり、2020年の4月から始まった仁くんとのYouTube(NO GOOD TV)を観たり、グッズを買って実家に送りつけたりして、それなりに亮ちゃんを応援する生活を引き続き楽しんでいたと思う。


少し心境が変わってきたのが、2020年6月。
You&J時代から継続していたエイトの自名義をついに更新しない事を決めた。理由は、前の年の夏にすられた財布の中にこの会員証が一緒に入っていたから。

エイトの会員証は、すばるくんが退所した際にデザインが変わっている。白地に七色の∞マークとメンバーの名前が書いてあったものから、金色で名前なしのカードになった。
もし継続したとして、帰国したあとに会員証を再発行したら届くのは金色のカード。そう気づいた時に、あぁ、それは違うな、と思った。伝わるかわからないけど、多分私は昔のカードであれば"亮ちゃんが関ジャニ∞にいた歴史があった"と思える。でも、今のカードでは"亮ちゃんは関ジャニ∞にいない"という事実だけを突きつけられる気がして、どうしてもあのカードを持つ気にはなれなかった。

エイトに関しての気持ちをもっと言ってしまえば、私はやっぱりすばるくんが抜けた段階で違和感を抱えていたんだと思う。その証拠という訳ではないけど、6人になってから出した2枚のCD、買ってはいるものの実は開けてすらいない。


「あの7人にはもう戻れないんだな」という気持ちは、亮ちゃんの方にもじわじわと波及してきた。夏ごろには仁くんとのYouTubeもみなくなり、FCサイトへのアクセス頻度も落ちた。

ここまでの心境の変化から多分、というかほぼ確実に、私は"7人(8人)の関ジャニ∞の錦戸亮"が好きだったんだと思う。でもそのことは見ないフリをして、11月には亮ちゃんのFCを2年目に継続した。YouTubeをみていなくても、FCサイトを毎回はみていなくても、まぁ海外在住のせいだと自分に言い聞かせて。




でも2021年、年が明けてしばらくして、亮ちゃんのFCサイトに海外からのアクセスができなくなっていることに気づいた。


そこで気持ちがきれた。


アクセスする方法を知らなかった訳ではない。ママ友がそうやって日本のネトフリとかに繋いでいるのを知っていたし。でも、もうそこまでする気になれなかった。


そもそもFC入会は国内に住所がある人が対象だから、私のような存在がイレギュラー。アクセスが拒否されたからといって悲しむのはお門違いだ。でもなんというかすごく私の勝手な話だけれど、遠恋で自然消滅しかかっているような雰囲気の時に電話をかけてみたら、相手はとっくに電話番号を変えていた時のような気持ちになってしまった。

私はまだ少しは繋げる気があったのに、貴方はそれを断つのね、と。

正直半分惰性で継続したくせに、何様のつもりだろう(反省)。こんな気持ちで応援しても一ミリもいいことはないと思った。


そしてもうひとつ。FCを更新したのは11月半ばで、アクセスできないことに気づいたのが2月あたり。その間"約2~3ヶ月、私はなにもしていない"ことに気づいたのだ。今までなんとなくで誤魔化してきた興味の薄れに明確な数字で向き合うことになり、亮ちゃんへの身勝手なショックと同時に、自分はもう冷めていたんだなという事実がショックだった。


これで亮ちゃんの担当は終わりだと思った。その時はなんとなく、まぁしばらくヲタクは休みだなと思っていた。少なくとも帰国するまではどんな現場にも入れないし、コロナで子どもたちも家にいることが増えたから相手をするのや家事で忙しいし。しばらく新しいものが見つかるとは到底思えなかった。

でも、それでもTwitterのプロフィールを何も変えないままでいたのは、帰国して現場に入ったりすれば気持ちもまた盛り上がるかもしれない、という淡い期待がもしかしたらあったのかもしれない。



まぁその予想も期待も、思ってもいなかったところからやってきた人物に完全にかっさらわれたのだけれど。


つづく。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

という訳で、亮ちゃんパートで一旦区切ります。


錦戸亮ちゃん、長い間ありがとうございました。

いやー、本当に楽しかった。Twitterにも書いたけど、間違いなく私の人生の一部です。特に就職して本当に忙しかった頃のささくれていた心に、彼らの歌声と演技と笑いはオアシスでした。

嫌いになった訳じゃない。本当にただタイミングが悪くて、何か噛み合わなくなっていっただけだと思ってます。アーティストとファンの関係に限らず、人同士なんてそんなもんでしょう?



○○な僕でいたい。亮ちゃんは昔から歌詞でもコメントでもよくそう表現するけど、少なくとも私にとってはそれらを有言実行できていたように思う。長所も短所もせっかちな彼のことなので、それらをやらなきゃやらなきゃと思っているうちに、いつの間にか彼らとは歩調が違ってしまったのかもしれないな、と想像しています。あの退所にいろんな声があるのはわかっているけど、そこは今回の心境の変化とはあまり関係がないので、敢えて触れないでおきました。
とにかく、昔も今も全てを糧にして、音楽も演技も表現を高めていってる亮ちゃんのことは今でも尊敬しています。こんな素敵な彼のことをこれからも近くで応援し続けられる人たちを、少し羨ましいなとも思うけど。

でも、とりあえず、私は一旦ここでおしまい。
何十年か経って、良い感じに歳をとった亮ちゃんにいつか会える機会があるなら、その間私も自分の人生楽しんだよと胸を張ってその場にいられるような私でいたいと思います。


ありがとう。

Okey, let's get started!

アラフォージェシー担。

ブログタイトルは、YouTubeイミテーションボーリングの投球前のギャグに「意味わかんねぇ」と言われての一言。

このブログにも意味はありません。Twitterにあげるには長すぎるものはこちらへ。ただの感想、その時の思い、振り返りをつらつらと書き綴っていくだけ。
解説や分析をするほどの知識も持ち合わせちゃいないし、何かを批判したい訳でも、評価したいわけでもない。

ただ、今の私はこうだよ、というブログ。



ヲタブログらしく記事タイトルはSixTONESの歌詞の一部からお借りしようかなと思っているけれど、その縛りがいつまで上手くいくかは不明。

ま、ラフにいきましょう。